障害は社会が作る
2021/08/14
オリンピックが終わり
パラリンピックの開幕が
近づいてきました。
テレビでは
パラリンピックの選手を
取り上げることが
多くなってきました。
先日、オーストラリアの
車いすラグビーの選手が
こう言っていました。
「障害は社会が作る」
そもそも障害とは
なんでしょうか?
現代では多くの人が
メガネやコンタクトを
利用していますが
そんな便利な道具が
ない時代には
視力の低下も
障害だったはずです。
視力が低下した人は
社会的に不利な状況に
置かれていたはずです。
しかし
社会がそれを
もはや障害ではない
状態にしていきました。
視力が低下したとしても
当たり前に生活できる
社会になっていきました。
メガネやコンタクトを
している人が
そうでない人と一緒に
当たり前に生活できる
世の中になっているのです。
今や
メガネやコンタクトをしている人を
障害者だという人は
いないでしょう。
前述の
車いすラグビーの選手の人は
「オーストラリアは
障害者に優しい国になってきた。」
と言っています。
車椅子で生活している人が
社会の中で当たり前に
生活できる体制が
整ってきているということです。
近い将来
車椅子で生活する人を
「障害者」と呼ぶ人が
いなくなるかもしれません。
パラリンピックが
テレビで取り上げられるのを
見るたびに思います。
パラリンピックが
なくなる日が来ることが
パラリンピックの
使命なのではないか。と。
オリンピックに
メガネの選手が
普通に参加できるように
オリンピックの一種目に
車椅子の選手などが
参加できるようになれば
それが
社会が障害を克服したという
バロメーターになるのでは
ないかと思うのです。
「障害は社会が作る」
この言葉は
極めて重要な言葉です。
社会の一員である
私たちが
心の中にある障壁を
意識するためにも
忘れてはならない
言葉なのです。