知ってしまったら戻れない
2021/04/23
私たちは
情報の価値を
もっと評価するべきです。
形のあるものには
価値を感じるけれど
形のないものには
価値を感じない。
そんな
傾向があるのです。
情報には
所有するという感覚が
少ないからでしょう。
情報を得たからと言って
持っているバッグが
重くなるわけでもなく
お腹がいっぱいに
なるわけでもありません。
しかし情報を得ることで
その人の中で
確実に変化が起きています。
例えば
フグに毒があると
知っていれば
その後一生その部位を
食べることはないでしょうし
あのグロテスクな
タコやナマコが食べられると
知っていれば
その後一生にわたって
食生活が豊かになるのです。
私たちは
フグに毒があるという情報や
タコやナマコが食べられる
という情報に
どれだけの価値を
感じているでしょうか。
みんな知っていることだから
当たり前でしょ。
と思ってしまいますが
それを知らない状態と
それを知っている状態では
生活に大きな変化が
生まれますし
情報によっては
それが
命に関わることも
あるのです。
それなのに
フグに毒がある
というような情報に
お金を払おうとする人は
少ないのです。
なぜ私たちは
情報に価値を
感じにくいのでしょうか。
形のあるものは
失われます。
壊れたり
紛失したり
取り上げられたりします。
所有していたとしても
また
所有していない状態に
戻る可能性があるのです。
100万円のダイヤモンドを
買ったとしても
それをどこかに置き忘れて
なくなってしまえば
それで終わりです。
ですから
そのダイヤモンドを
とても大切にしますし
価値を感じるのです。
しかし
情報は一度知ってしまえば
知る前の状態に
戻ることはありません。
フグに毒がある
という情報を知った後で
それを忘れて
フグを食べてしまうことは
まずないでしょう。
知らない状態には
もはや戻れないのです。
ですから
私たちは知る前の自分を
簡単に忘れてしまいます。
知ってしまったら
知っていない状態が
もはや想像できない。
知っている状態が
当たり前になってしまい
その情報の価値を
過小評価してしまうのです。
しかし
だからこそ
情報は価値が高いとも
言えるのです。
2,000〜3,000円の本を
高いという人がいますが
まさに情報の価値を
過小評価して
しまっている人たちです。
著者が一生
または半生をかけて
得た情報が
わずか
2,000円ほどで
手に入るにもかかわらず
それが高いと思うのは
実にもったいないことだと
思います。
読書もそうですが
人と会って
話を聞くというのも
素晴らしい情報を得る手段です。
人は情報の塊です。
本には書けない情報
言語化できない情報も
その人に会うことで
得ることができます。
本を読んで
その著者に会いに行く
というのは
最高の情報獲得手段
なのです。
実際私も
コーチングの本を読んで
実際にコーチに会いに行き
人生が変わりました。
あなたは
どんな情報を
どんな本やどんな人から
得ていますか?
その価値に
気づいていますか?