気づきが違う
2020/10/19
ここ2年くらい
気をつけていることが
あります。
それは
洗面所の鏡を
きれいにしておくこと
です。
鏡に写る
自分の姿を
見ているときには
さほど
気が付かないのですが
鏡自体を見てみると
結構汚れているのです。
水滴が飛んで
それが白くこびりついて
いるのです。
特に
水滴が飛びやすい
鏡の下の方が
ひどく汚れているのです。
ティッシュで
少し擦ると
すぐにきれいになるので
気付いたらすぐに
そうするようにしています。
それをやりだしてから
どうして他の家族は
それに気が付かないんだろう
と不思議に思うのです。
自分もかつては
気が付かなかったのを
棚に上げて
他の家族だって
気付くだろうと
ついつい
思ってしまうのです。
同じように
玄関の履き物についても
そう思ってしまいます。
私は
いつも履き物が
揃っていないと
気持ち悪いので
気付いたときには
すぐに揃えるように
しているのですが
他の家族は
気付かないことが
多いなと感じるのです。
そう考えてみると
私が気付いていないことで
他の家族が
どうして私は
気付かないんだろうと
不思議に思っているのだ
ということに
気付きました。
例えば
私の妻は
庭の草が伸びてきたら
「草取りしといてね。」
と私に言います。
私は
「えっ?どこが
そんなに伸びてる?」
と思うのです。
私には気付かないことが
妻にはよく
気が付くのでしょう。
人には
RASという
認知のフィルターが
あります。
自分にとって
重要な情報だけ
フィルターを通し
そうでない情報を
シャットアウトするのです。
そのRASの働きで
人は
目に映っているけど
見えないものが
たくさんあるのです。
その
認知のフィルターは
人によって違います。
鏡が気になる人もいれば
庭の草が気になる人もいます。
大切なのは
その違いを
認めることであり
理解し合うことです。
「なぜ気付かないんだ。」
「気付いて当然だろう。」
と
自分の価値観を押し付けて
相手を非難するのではなく
自分が気付いたら
自分がやればいい。
きっと自分にも
気が付かないことが
たくさんあるはずだ。
という
心の余裕を持つのです。
自分にとって
大切なことが
相手にとって
大切とは限りません。
その違いにより
気付きが違うのです。