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不登校にみる普通病

不登校にみる普通病

2020/09/24

不登校
(学校に行かない・行けない)
ということが
本人とその親を
著しく苦しめています。

私はここに
日本における
「普通病」
という名の
病理を見るのです。

普通に育って
普通に学校に行って
普通に就職して
普通に家庭を築いて
普通の暮らしをしてほしい

意識するしないに
関わらず
多くの親が
そんな願いを抱き
多くの子が
その圧力の元に
生きているのです。

不登校になった
子もその親も
勉強ができない
とか
友達と疎遠になる
とか
そんな不利益よりも

普通から外れる
ということに
大きなストレスを
感じているのです。

他の子は
みんな普通に
学校に行っているのに
どうして
私だけ
どうして
私の子どもだけ

ということに
ストレスを
感じてしまうのです。

この普通病は
学校教育をはじめ
日本の社会が
作ってきた
病理です。

学校では
前ならえ
右向け右
これができない子は
叱られます。

前ならえが
できないことを
叱られるのではなく

他の子が
できているように
他のこと同じように
できないことを
叱られるのです。

「なんでお前だけ
 遅れるんだ。」
「なんでお前だけ
 ずれているんだ。」
と叱られるのです。

教師は
個々の子どもたちの
能力がどうかよりも

一直線に
乱れなく並んでいる
美しさに
満足をするのです。

前ならえも
右向け右も

他の子と
合わせるための
訓練なのです。

普通の子を
作り出すための
訓練なのです。

不登校の子が
どんな能力や
どんな興味関心を
持っているかに
関わらず

学校に行かない
という
他の子との違い
一直線に並ばない
という乱れを
問題視されるのです。

その価値観を
刷り込まれている
私たちは

不登校に
悩み苦しむのです。

その価値観の
外側の世界を
見ることが
できなくなって
しまっているのです。

私が常日頃から
抽象度を上げよう
といういうことを
何度も言っているのは

その価値観の
外側に
出ることが
大切だからです。

抽象度を上げ
高い視点から
物事を見ることで

普通病が
いかに
ちっぽけな
価値観に囚われた
とるに足らない
ものなのかが
見えてくるのです。

学校に行く
という価値よりも
その子に合った
学びを保証する
という価値の方が
遥かに大切です。

そういう見方が
できる人が
もっと増えてほしい

そして
普通病に
悩んでいる人を
救ってあげてほしいと
思います。

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